2022/12/06 20:02
「薩摩焼」「苗代川焼」の起源
「薩摩焼」「苗代川焼」の起源は、約400年前の文禄・慶長の役(1592年~1598年)に始まります。
慶長3(1598)年、島津義弘公に随伴せて渡来した陶工たちは、鹿児島県の串木野(島平)・市来(神之川)・鹿児島市(前之浜)の3箇所に上陸しました。
串木野の島平に上陸した朴平意は苗代川(現:美山)に窯を築き、藩公の庇護奨励のもとに製陶を始めました。
これは千利休の門人であった義弘公の茶道趣味と薩摩藩の産業奨励のためであったと云われています。
1867年(慶応3年)には、島津藩が単独で出品したパリ万博において、薩摩焼はヨーロッパの人々を魅了し、世界に「SATSUMA」の名を轟かせました。
荒木家は串木野の島平に上陸した渡来陶工、朴家の末裔であり幾多の歴史的苦難を乗り越えて、苗代川焼伝統の技と心を今日に伝えております。
荒木陶窯の登録商標「苗代川焼」
薩摩焼は、苗代川焼・龍門司焼・竪野焼(磯お庭焼)の3つの流派に大別され、それぞれの地名を産地の名称として使用してきました。薩摩焼の始祖といわれる陶工達は、慶長3(1598)年、串木野(島平)・市来(神之川)・鹿児島市(前の浜)に着船しました。串木野(島平)に上陸した者達は、最初に串木野に築窯。慶長8(1603)年に苗代川に移住し、製陶を始めました。その後、苗代川で焼かれる焼き物は、その地名を取って苗代川焼として親しまれていました。
昭和31年9月30日に地名を苗代川より美山と改称、我々渡来陶工の子孫達は、故郷が日に日に其のたたずまいを変えて行く昨今、苗代川の地で作陶を始めた先人の事を忘れないようにと、焼き物にその名を残しました。
土地の名称で無くなった苗代川という呼び名は商標の対象となり、県内外の商社によって商標登録の動きが始まりました。荒木幹二郎は、このままでは苗代川焼の窯元が、その名称を使用出来なくなる旨を美山の陶器組合に説明し、商標の登録を提案しましたが、「時代の流れが美山に改名したので、苗代川という名称は不用」との意見が大半を占め、聞き入れてもらえませんでした。
やむなく荒木幹二郎は個人で商標の登録を行い、昭和39年より50年以上に渡ってその名前を守り続けています。
※ 商標の取得はあくまで苗代川焼の保存と発展の為であり、苗代川焼伝統保存会の会員(荒木陶窯・佐太郎窯・山本陶苑)にはその商標の使用を無料にて許可し、苗代川焼伝統保存会によって現在もその名前は守られております。
薩摩焼の分類
苗代川系
創祖:朴平意(ぼく・へいい/1559~1624)
串木野(島平)に上陸し、慶長4年(1599)串木野に薩摩焼最初の窯を築陶(串木野窯)、黒薩摩と白薩摩の生地を主に焼いた。
慶長8(1603)年:下伊集院村大字苗代川(現在の美山)に移住し築窯
1782年:白薩摩の捻物細工を開始
1844年:錦手(白薩摩上絵付)も開始