2023/05/17 12:33
薩摩焼は、苗代川焼・龍門司焼・竪野焼(磯お庭焼)の3つの流派に大別され、それぞれの地名を産地の名称として使用してきました。薩摩焼の始祖といわれる陶工達は、慶長3(1598)年、串木野(島平)・市来(神之川)・鹿児島市(前の浜)に着船しました。串木野(島平)に上陸した者達は、最初に串木野に築窯。慶長8(1603)年に苗代川に移住し、製陶を始めました。その後、苗代川で焼かれる焼き物は、その地名を取って 「苗代川焼」 として親しまれていました。
昭和31年9月30日に地名を苗代川より美山と改称、我々渡来陶工の子孫達は、故郷が日に日に其のたたずまいを変えて行く昨今、苗代川の地で作陶を始めた先人の事を忘れないようにと、焼き物にその名を残しました。
土地の名称で無くなった苗代川という呼び名は商標の対象となり、県内外の商社によって商標登録の動きが始まりました。14代荒木幹二郎は、このままでは苗代川焼の窯元が、その名称を使用出来なくなる旨を美山の陶器組合に説明し、組合での商標の登録を提案しましたが、「時代の流れが美山に改名したので、苗代川という名称は不用」との意見が大半を占め、聞き入れてもらえませんでした。
やむなく荒木幹二郎は個人で商標の登録を行い、昭和39年より50年以上に渡ってその名前を守り続けています。
※ 商標の取得はあくまで苗代川焼の保存と発展の為であり、苗代川焼伝統保存会の会員(荒木陶窯・佐太郎窯・山本陶苑)にはその商標の使用を無料にて許可し、苗代川焼伝統保存会によって現在もその名前は守られております。