arakitoyo

2023/05/17 13:00

薩摩焼の分類

苗代川系  創祖は串木野(島平)に上陸した朴平意(ぼくへいい・1559~1624)。

慶長4年(1599)串木野に薩摩焼最初の窯を築陶(串木野窯)、黒薩摩を主に焼いた。慶長8年(1603)下伊集院村大字苗代川(現在の美山)に移住し築窯。1782年、白薩摩の捻物細工を開始。1844年、錦手(白薩摩上絵付)も開始。


竪野系   創祖は市来(神之川)に上陸した金海(きんかい・星山仲次)。慶長6年(1601)18代藩主島津義弘公の命により、姶良郡帖佐宇都に築陶した御庭焼窯の宇都窯に始まる。瀬戸・美濃へ陶法修行の後、茶陶を始める。白薩摩が主で朝鮮より持ち帰った白陶土を使い「火計り手」など白薩摩のもとになる物が焼かれた。


龍門司系  創祖は串木野(島平)に上陸した卞芳仲・何芳珍(べんほうちゅう・かほうちん)。卞芳仲は何芳珍と共に帖佐の八日町に築陶した。しかし、子供がいなかった為、何芳珍の孫である小右衛門を後継者とした。その後小右衛門は山元碗右衛門と名乗り、元禄元年に龍門司窯を創設、現在の龍門司焼の創祖となった。平家の末裔、川原重治は山元碗右衛門に師事し陶業に従事した(中興の名工、川原芳工の父)。山元家断絶の後、現在の龍門司焼を継承。


平佐系   安永5年(1776)川内平佐の今井儀右衛門が天草石を購入、阿久根の脇本に窯を築き染め付け白磁を焼いたのが始まり。衰退後、平佐領主本郷家の援助により伊地知団右衛門が天明6年(1786)に平佐皿山に平佐北郷窯を築窯。その後平佐べっ甲釉などの名品を残したが衰退し廃窯。


西餅田系  修験者小野元立が寛文3年(1663)山ヶ野金山にいた肥前の陶工、北村伝右衛門を中心に帖佐の西餅田に元立院窯を築いたのが始まり。蛇蝎釉やどんこ釉と呼ばれる製品を生み出したが、延享3年(1746)に廃窯。

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